私はみことばに従って、イエスの血が私のためにしてくれることをサタンに証しします
イスラエルの過越の儀式をもう一度見てみると、現代の私たちに注ぎかけるには、一つの大きな問題があることに気づきます。それは、いけにえが完了した今、私たちはどのようにして流された血を手に入れるのかです。血は鉢の中にある限り、役に立ちません。イスラエル人は、ヒソプと呼ばれるこのどこにでもある植物を取って血に浸し、自分たちの家の外の鴨居と門柱に振りかけました。そうして初めて守られたのです。しかし、過越の儀式では、血を振りかける前に行われたことがあります。
パウロが過越と種なしパンの祭りについて信者に教えている、コリント人への手紙第一を見てみましょう。ます。ユダヤ人の家庭はみな、七日間、家の中からパン種の入った物をすべて取り除かなければなりませんでした。伝統的ユダヤ教徒は、今もこの習慣を守っています。
新しいこねた粉のままでいられるように、古いパン種をすっかり取り除きなさい。あなたがたは種なしパンなのですから。私たちの過越の子羊キリストは、すでに屠られたのです。ですから、古いパン種を用いたり、悪意と邪悪のパン種を用いたりしないで、誠実と真実の種なしパンで祭りをしようではありませんか。(Ⅰコリント5:7-8)
私たちも、神に従順に生きるために、「罪」という古いパン種を取り除かなければなりません。これによって、血は私たちの生活のあらゆる領域を守ることができるのです。
【祈り】
主よ、イエスさまの血を感謝します。私は、自分の生活にイエスさまの血を注ぎかけることで、私の中のあらゆる罪を取り除きます。私はみことばに従って、イエスさまの血が私のためにしてくれることをサタンに証しします。アーメン。