私の御父は、私を造られました
引き続き、人の体についての神の目的を考えてみましょう。私たちの体は、義の奴隷あるいは道具となりました。まず、聖霊がご自身の住むところとされます。次に、私たちの体は神の道具となるのです。
わたしは人間的な言い方をするが、それは、あなたがたの肉の弱さのゆえである。あなたがたは、かつて自分の肢体(手足)を汚れと不法との僕(しもべ)としてささげて不法に陥ったように、今や自分の肢体を義の僕としてささげて、きよくならねばならない。(ローマ 6:19/口語訳)
私たちの体についての神の計画は、それを奴隷として神にささげて、どんなことであったとしても神のみこころを行う準備ができている状態にしておくことです。ローマ人への手紙6章13節は、私たちの体を「義の道具として」神にささげるように言っています。惜しまず神にささげる時、私たちの体は聖められ、聖霊の宮にふさわしいものとされます。
神のみこころを行う義の奴隷、義の道具としてあなたの全身を惜しむことなく主にゆだねるなら、神はこう言われます。「よし、この体はわたしのものだから、この体の維持も健康も、私が責任を持とう。この地上の人生においても、来る世においても。」
【祈り】
主よ、私のうちになしてくださった御業を、感謝します。聖められ、聖霊の宮にふさわしいものとされるため、今、私の体を惜しむところなく神さまにささげると宣言します。私の御父は、私を造られました。アーメン。