ご自分のいのちを私たちに与えるために、イエスは死なれました
私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った。 (イザヤ53:6)
この箇所は、「反抗」という一言で表せるでしょう。それは、全人類に共通する 罪です。預言者イザヤはこう続けています。「しかし、主は私たちすべての者の咎 を彼[イエス]に負わせた」(6節)。「咎」(ヘブル語で avon)という語の意味 は、「反抗」、「反抗による罰」、「反抗がもたらすあらゆる悪い結果」です。私 たちの身代わりであり、最後のアダムであるイエスは、十字架の上で私たちの反抗 による反抗者となり、反抗から来るすべての悪い結果に耐えたのです。
そのことを理解できたなら、それは神の宝庫の扉となります。これは交換です。 私たちの反抗に値するすべての悪がイエスに臨み、イエスの全き従順に値するすべ ての良いものが私たちに与えられるようになりました。その交換は、どのような角 度から見ても完全でした。イエスは、私たちが赦されるために罰せられました。私 たちが癒やされるために打たれました。ご自分の義にあずからせるために、私たち の罪を負ってくださいました。ご自分のいのちを与えるために、私たちに代わって 死んでくださいました。私たちに祝福を与えるために、呪いとなられました。ご自 分の豊かさを分かち合うために、私たちの貧しさに耐えました。ご自分の栄光を私 たちに得させるために、私たちの恥を負ってくださいました。私たちを神から受け 入れられる者とするために、拒絶に耐えてくださいました。
十字架上の犯罪人を想像してみてください。それがあなたであると認めるのです。 確かに、あなたはそこにかけられるべきです。しかし、イエスがあなたの身代わり となられました。あなたの反抗を負っただけではなく、罪から来る悪い結果のすべ ても負ってくださいました。ご自分の全き従順によって、あなたをすべての祝福の 中に入らせるためです。それが恵みの働きです。あなたは自分の力でそれを手に入 れることもできず、またそれに値するのでもなく、要求することもできません。そ れを受け取る方法はただ一つ、信仰によります。信じることだけによります。
【祈り】
イエスさま、あなたの十字架のみわざを感謝します。イエスさまは、ご 自分のいのちを私に与えるために、私が受けるべき死を受けてくださったことを宣 言します。アーメン。