霊的ないのち:神との交わり

- 私たちが神と永遠に交わることができるために、イエスは死によって絶たれ ました -

ペテロがゲッセマネの園で、イエスが捕えられないように守るために剣を振り下 ろすと、イエスにこう言われました。「剣をさやに収めなさい。父がわたしに下 さった杯を飲まずにいられるだろうか」(ヨハネ18:11)。

イエスはその杯を 最後の一滴まで飲み干しました。このように、イエスの働きは十字架で終わったの ではありません。事実、最も苦い一滴は肉体の死のあとにやって来ました。あらゆ る意味で、イエスはその杯を飲み干しました。一つ目に、霊的な死があり、二つ目 は、肉体の死、そして三つ目に、神から霊的に絶たれたのです。 

イエスは私たちにいのちを得させるために、すべての人のために死を味わわれま した。ですから、私たちはイエスが失ったその三つの面でのいのちを得ているので す。全く同じ三つの側面におけるいのちです。 

第一に、私たちは霊的ないのちを持っています。イエス・キリストを信じる信仰 によって、私たちは今、この人生において神と結ばれ、交わりの中に入れられます。 イエスは父と結ばれ、父のいのちによって生きておられました。イエスは言われま した。

「わたしと父とは一つです」(ヨハネ10:30)。

これは、イエスが私た ちの咎を負って、父から引き離されるまでのことです。私たちが父と一つとされる ために、イエスは断絶されたのです。私たちもイエスを信じる信仰によって、イエ スが霊によって父と一つであったいのちを歩まれたように、霊において主に結ばれ て神と一つとされたいのちを生きるのです。これが福音の最終目的です。 

ヨハネの手紙第一1章3節はこう書いています。「私たちが見たこと、聞いたこ とを、あなたがたにも伝えます。あなたがたも私たちと交わりを持つようになるた めです。私たちの交わりとは、御父また御子イエス・キリストとの交わりです。」 イエスは、私たちをその交わりに入れるために、ご自身が持っていた神との交わり を犠牲にしたのです。

【祈り】

イエスさま、あなたの十字架のみわざを感謝します。イエスさまは、私 にいのちを得させるために死を味わわれ、私が一つとされるために絶たれ、私をそ の交わりに入れるために、ご自分と神さまとの交わりを失ったことを宣言します。 私が神と永遠に交わることができるために、イエスさまは死によって絶たれました。 

アーメン。

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