信仰の告白を堅く保とうではありませんか
聖書全体は、私たちの言葉が私たちの運命を決めることを示しています。箴言18章21節に、こうあります。
「死と生は舌に支配される。どちらかを愛して、人はその実を食べる。」
舌は、間違った告白をすれば、人生に死をもたらし、正しい告白をすれば、生をもたらします。私たちが語ることが何であれ、私たちは結果としてそこから生じる実を食べることになります。その真理は、イエスのことばにも反映されています。
「わたしはあなたがたに、こう言いましょう。人はその口にするあらゆるむだなことばについて、さばきの日には言い開きをしなければなりません。あなたが正しいとされるのは、あなたのことばによるのであり、罪に定められるのも、あなたのことばによるのです」(マタイ12:36-37/新改訳第三版)。
クリスチャンはしばしば、神に敬意を払っていないような愚かなことを言って、あとで「本気で言ったのではない」と言い訳することがあります。しかし、イエスは「あらゆるむだなことば」と言っています。本心ではなかったというのは、言い訳にはなりません。私たちは自分の信仰の告白を堅く保たなければなりません。
結局のところ、キリストとみことばに対する私たちの態度には、告白するか、否定するかの二つの選択肢しかありません。です。また、イエスはこう言われました。
ですから、だれでも人々の前でわたしを認めるなら、わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます。しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも、天におられるわたしの父の前で、その人を知らないと言います。(マタイ10:32-33)
これが、私たちに与えられた二つの選択肢です。三つ目の選択肢はありません。霊的なこと、長い信仰の歩みには、中立というものはありません。イエスは言われました。「わたしに味方しない者はわたしに敵対し」(マタイ12:30)。私たちは、救いに至る正しい告白をするか、救いのない間違った告白をするかのどちらかなのです。
【祈り】
イエスさま、あなたは私たちが告白する大祭司であることを感謝します。私が人々の前で、イエスさまは私の主であると告白するなら、主は、天の父の前で私を告白してくださると宣言します。私は、信仰の告白を堅く保ちます。アーメン。