私はキリストの友です
神が教えるために生徒を選び出されるとき、知的能力や学位、社会的地位によってではなく、人格に基づいて選びます。神はご自分に対する心の内面の態度、敬虔な従順と尊敬の態度を求めておられます。さらに、神はカリキュラムを設定します。神は、「その人に選ぶべき道をお教えになる」(詩篇25:12)のです。多くの場合、神が選ぶ道は、私たち自身が選ぶ道とは異なります。私たちは預言や啓示といった深遠に思えるテーマに傾くかもしれませんが、神のカリキュラムは、奉仕、犠牲、忠実さという、謙虚で現実的なものに焦点を当てます。
神の教えに従う人には、素晴らしい報いがあります。
「主はご自分を恐れる者と親しく交わりその契約を彼らにお知らせになる」(詩篇25:14)
人間関係において、私たちは信頼できる人にだけ自分の秘密を打ち明けます。同様に、神がご自分の奥義を私たちに知らせてくれるとき、それは私たちが神の信頼を得ていることの証しです。それは神の学校を卒業した証明なのです。
この真理は、イエスと弟子たちの関係に見事に表れています。イエスは弟子たちに三年間の厳しい訓練を課したあと、こう言いました。
「わたしはもう、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべなら主人が何をするのか知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。父から聞いたことをすべて、あなたがたには知らせたからです」(ヨハネ15:15)
まず、イエスご自身が、父への完全な服従によって父から学びました。そして今度は、イエスは父から学んだすべてのことを、同じようにご自分に従順な者たちに伝えたのです。
神は今もこの基準で生徒を選んでおられます。神が求めておられることも、カリキュラムも変わっていません。
【祈り】
イエスさま、あなたが私を贖ってくださったことを感謝します。私は、主の教えに完全に従い、それによって主の友になるという願いを宣言します。私はキリストの友だからです。アーメン。