私たちが父に受け入れられるようにと、イエスは私たちの拒絶を耐え忍びました
拒絶による一番大きな影響は、愛を受け取ることができない、あるいは愛情を表現することができないことです。愛を受けたことがなければ、愛を伝えることができません。このことは、新約聖書でヨハネも言及しています。「私たちは[神を]愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです」(Ⅰヨハネ4:19)。このように、愛された経験がない人は、愛を伝えることができないのです。
拒絶による二次的な影響は、人々の拒絶へのおもな三通りの反応です。①受け入れてしまう人、②我慢する人、③反撃する人です。この三つの反応には、共通点があります。傷を隠そうと、本質的に防御的であることです。どの方法も前向きな解決策ではありません。しかし、神は前向きな解決策を持っておられます。
イザヤ書61章1節に、メシアであるイエスが来られることよって成就した約束が書かれています。「神である主の霊がわたしの上にある。貧しい人に良い知らせを伝えるため、心の傷ついた者を癒やすため、主はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げ。」
この約束が成就し、神は拒絶のための解決策を備えてくださいました。それは、イエスと十字架を通して私たちにもたらされます。創造の前からの神の永遠の目的は、私たちが神の息子、娘となることでした。私たちの罪を負い、私たちの拒絶を身代わりに受けたとき、イエスは、本当に大切な子どもとして私たちを受け入れてくださる方への道を開いてくださったのです。
【祈り】
イエスさま、あなたの十字架のみわざを感謝します。私は、拒絶の影響から抜け出し、神さまがメシアであるイエス・キリストによって私に備えてくださった癒やしを受け取ることを宣言します。私が父から受け入れられるようにと、イエスさまは私の拒絶を耐え忍ばれました。アーメン。