私のからだは主のためにあり、主は私のからだのためにおられます
あなたこそ私の内臓を造り母の胎の内で私を組み立てられた方です。私は感謝します。あなたは私に奇しいことをなさって恐ろしいほどです。私のたましいはそれをよく知っています。私が隠れた所で造られ地の深い所で織り上げられたとき私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。(詩篇139:12―15)
肉体について考える時、私は畏敬の念に包まれます。最終的に私のからだとなった物質は、私のからだに入るずっと前に、神が地の中で計画し、形造られたものだったのです。神は、私のからだを組み立てるその中身をすでに定めておられたのです。
あなたの目は胎児の私を見られあなたの書物にすべてが記されました。私のために作られた日々がしかもその一日もないうちに。(16節)
神は、私たちのからだが生まれる前から、その青写真(設計図)を持っておられました。この聖句を、ルカ12章7節でイエスが言われたことと比較してみましょう。
「それどころか、あなたがたの髪の毛さえも、すべて数えられています。恐れることはありません。あなたがたは、多くの雀よりも価値があるのです。」
この言葉は、私たちの肉体に対する神の関心の深さを示しています。神は私たちの髪の毛の数さえも知っておられるのです。そのことを知るとき、この素晴らしい作品(私たちのからだ)に目的を持っておられることを認めなければなりません。それはコリント人への手紙第一6章19節から20節で明らかにされています。
「あなたがたは知らないのですか。あなたがたのからだは、あなたがたのうちにおられる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたはもはや自分自身のものではありません。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから、自分のからだをもって神の栄光を現しなさい。」
【祈り】
主よ、私のからだのためのあなたの備えを感謝します。私は、自分のからだをもって神さまの栄光を現します。私のからだは主のためにあり、主は私のからだのためにおられることを宣言します。アーメン。