私のからだは主のためにあり、主は私のからだのためにおられます
ヨブ記を読むと、からだについての驚くべき啓示を知ることができます。創世記とヨブ記の間には、多くの点で驚くほどのつながりが見られます。ヨブ記10章8-12節は、私たちの肉体に対する神の創造的なみわざを要約しています。8節にはこう書かれています。
「あなたの手が私をかたどり、[完全に一体となるように(英語NKJV)]私を造られました。」
創世記2章7節のように、「形造り」という言葉は、細心の注意を払った結果の巧みな仕事を示しています。ヨブ記は、神が人間のからだを形造るために注ぎ込んだ計り知れない技術と注意深さを強調しているのです。
あなたの手が私をかたどり、私を造られました。それなのに、私を滅ぼし尽くそうとされます。思い出してください。あなたは私を粘土のようにして造られました。私を土のちりに戻そうとなさるのですか。あなたは私を乳のように注ぎ出して、チーズのように固め、皮と肉を私に着せて、骨と筋で編まれたではありませんか。(ヨブ10:8-12a)
なんと鮮やかな表現でしょうか。からだの様々な部分の相互関係の何と美しい描写でしょう。12節後半には、「恵みをもって私にいのちを与え、あなたの顧みが私の霊を守りました」とあります。
ヨブ記の後半では、人間の性質のもう一つの側面である霊的な部分を見ることができます。
「確かに、人の中には霊があり、全能者の息が人に悟りを与える」(ヨブ32:8)
このヨブ記の言葉は、創世記の言葉と完全に一致しています。人間の完全な性質を生み出すのは、天からの神の息と地からの粘土との完全な一体化によるものです。
【祈り】
主よ、私のからだのためのあなたの備えを感謝します。私は、天からの神さまの息と地からの粘土と一つにされた者です。私のからだは主のためにあり、主は私のからだのためにおられることを宣言します。アーメン。