恵みの御座に近づこうではありませんか
私たちは恵みの御座に近づいて、特定の必要を神に求めます。ここで、「私たちの動機」という重要な条件を見ていきましょう。神はすべての動機を探られ、私たちが祈る理由をよく知っておられます。ヤコブの手紙4章2節にこう書かれています。
「自分のものにならないのは、あなたがたが求めないからです。」
クリスチャンが受け取っていない主な理由は、単に求めないからです。しかしまた、そのあとの3節でヤコブはこう言っています。
「求めても得られないのは、自分の快楽のために使おうと、悪い動機で求めるからです。」
つまり、自己中心的な祈りは、私たちの動機が間違っていることを示しているのです。単に人間的な快楽、個人的満足、放縦を得ようとしているのです。
では、正しい動機とは何でしょうか。すでにイエスが言っておられます。
「父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしがそれをしてあげます」(ヨハネ14:13-14)。
それが、神が聞いてくださる祈りの動機です。その祈りに答えることで、イエス・キリストを通して神が栄光を受けるような誠実な心からの祈りでなければなりません。パウロはコリント人への手紙第二1章20節で、こう説明しています。
「神の約束はことごとく、この方[イエス・キリスト]において『はい』となりました。それで私たちは、この方によって『アーメン』と言い、神に栄光を帰するのです。」
私たちが神のもとに行き、神の約束を主張する目的は、神がそれらの祈りに答える時に、私たちを通して栄光を受けるためです。神の約束を宣言すればするほど、私たちはますます神に栄光を帰することになるのです。しかし、私たちが神の約束を宣言しないなら、神に栄光を帰さないことになります。神に最も栄光を帰する人とは、キリストにある神の約束を誰よりも宣言する人です。
もう一度言います。神に受け入れられる動機とは、神が栄光を受けるために祈りの答えを求める動機です。そして、その祈りは、御子イエス・キリストの名によってささげられなければなりません。
【祈り】
主よ、私は大胆にあなたのもとに行くことができることを感謝します。私の祈りの動機は、その祈りが答えられることによって、イエス・キリストを通して神さまが栄光を受けることであると宣言します。私は恵みの御座に近づきます。アーメン。