イエスの前に置かれた喜び

- イエスは、私たちに神の栄光を与えるために、私たちの辱めを負われました - 

ヘブル人への手紙12章2節は、イエスを「信仰の完成者」と呼んでいます。こ の言葉であなたを励ましたいと思います。イエスは始めたことを、必ず完成するお 方です。イエスがあなたの中で何かを始めたなら、それを完成してくださいます。 それがイエスの忠実さです。私たちの賢さではありません。 

へブル人への手紙12章2節は続けて、イエスについてこう言っています。「こ の方は、ご自分の前に置かれた喜びのために、辱めをものともせずに十字架を忍び、 神の御座の右に着座されたのです。」イエスは十字架の上で辱めを耐え忍びました が、あきらめることはありませんでした。ご自分の前に置かれた喜びがあったので 、 辱めはご自分の目的をあきらめる理由にはならなかったのです。「ご自分の前に置 かれた喜び」とは何だったのでしょうか。多くの子どもたちを栄光に導く喜びです。 あなたを、私を、そして私たちのような多くの人々を栄光に導くために、イエス・ キリストは十字架の辱めに耐えてくださったのです。 

十字架刑ほど屈辱的な死に方はありません。最も卑しい犯罪者のために用意され た最も屈辱的な刑罰です。死に至る過程が屈辱的なのです。聖書は、ローマ兵たち がイエスの着物をすべてはぎ取ったと明記しています。イエスは、人々の目の前で 三時間以上も全裸で十字架にかけられていました。人々はその前を通りながら、イ エスをからかいました。あなたがその状況に置かれたらどう感じるでしょうか。一 言で言えば「屈辱」です。イエスは、その屈辱に耐えてくださいました。なぜなら、 

イエスはその屈辱を通して、私たちを栄光に導くことができると知っておられたか らです。 

【祈り】 

イエスさま、あなたの十字架のみわざを感謝します。私は、イエスさ まが多くの人々を栄光に導くために辱めを耐え忍ばれたことを宣言します。イエス さまは、私に神の栄光を与えるために、私の辱めを負われました。アーメン。

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