父がその子をあわれむように 主は私をあわれまれます
私は、『孤児、未亡人、貧しい人、虐げられている人』というタイトルの小冊子を書きました。この小冊子を書いたことに、自分でも驚いています。昨日も書いたように、私は50年以上もメッセージを語ってきて、残りの人生もずっとメッセージを語っていくのだろうと考えていたときに、神は予想もしなかった新しい種類のあわれみを与えてくださいました。詩篇84篇6節には、「彼らは涙の谷を過ぎるときも そこを泉の湧く所とします」と書かれています。
私は涙の谷を経験して来ました。そして、神は私のためにその泉を湧き出させてくださいました。それは、神にしかできない主権的なものです。それは「あわれみ」です。私たちの社会が軽視し、邪魔者扱いしている人々、つまり孤児、未亡人、貧しい人、虐げられている人たちについて、深く関心を持ち、思いつめるほど考えるようになりました。そのような人々を世話する私たちの責任について、聖書がどれほど多くのことを語っているかに驚かされます。それは、アブラハム、イサク、ヤコブなどの族長時代、モーセの律法の時代、預言者の時代、新約聖書の時代を問わず、最初から最後まで、神の義に関する主要なテーマとなっています。
一般的に言って、私たちクリスチャンは、誰にもかまってもらえない人々を世話するという、私たちの信仰と役割の中で重要な部分を完全に見落としています。
【祈り】 主よ、あなたが私をとても大切に思ってくださっていることを感謝します。私は、詩篇 84篇6節の「彼らは涙の谷を過ぎるときも そこを泉の湧く所とします」の真理を宣言します。私は、誰にもかまってもらえない人々を世話するという、信仰と役割の中で重要なこの領域の中を歩むことを宣言します。父がその子をあわれむように、主は私をあわれまれます。アーメン。