私たちに癒やしを与えるために、イエスは打たれました
まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。それなのに、私た ちは思った。神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は私た ちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめ が私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。 (イザヤ53:4-5)
マタイとペテロは、この箇所を引用しています。
イエスはことばをもって悪霊どもを追い出し、病気の人々をみな癒やされた。 これは、預言者イザヤを通して語られたことが成就するためであった。「彼は 私 た ち の わ ず ら い を 担 い 、 私 た ち の 病 を 負 っ た 。 (マタイ8:16-17)
キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私た ちが罪を離れ、義のために生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒 やされた。(Ⅰペテロ2:24)
ヘブル語で書かれたイザヤ書を、聖霊の導きを受けて正確に引用したマタイとペ テロの文章を組み合わせると、イザヤ53章4-5節から、身体的領域と霊的領域 についてそれぞれ三つの声明が宣言されているのがわかります。身体的領域の三つ は、①イエスは私たちのわずらいを担った。②私たちの病を負った。③私たちは癒 やされた。霊的領域の三つは、①イエスは私たちの背きのために刺された。②私た ちの咎のために砕かれた。③私たちに平安(義)を与えるために懲らしめを受けた。
【祈り】
イエスさま、あなたの十字架のみわざを感謝します。イエスさまは私の わずらいを負い、私の病を負い、私を癒やしてくださいました。私に癒やしを与え るために、イエスさまが打たれてくださったことを宣言します。アーメン。