私は代価を払って買い取られました。私は神のものです
私たちのからだは聖霊の宮であり、イエスが十字架で死なれて血を流されたとき、 私たちの霊とたましいに加えて、からだも贖ってくださったと聖書は教えています。 私たちは霊もたましいもからだも、すべてイエスのものです。
神は、私たちのからだに関心と特別な目的を持っておられます。からだは、聖霊 の宮となるためのものです(Ⅰコリント6:19参照)。からだは、人間の中にあ る聖霊が住む場所です。聖書は、神は手で造られた宮には住まないと言っています (使徒7:48参照)。私たちは教会やシナゴーグ、幕屋をいくつでも好きなだけ 建てることができますが、神がそこに住むことはありません。神はご自分を信じる 人のからだの中に住むことを選ばれたのです。このように、信者のからだには聖霊 の住まいとしての重要な役割があります。
さらに、パウロは私たちのからだの器官について、このように説明しました。「またあなたがたの手足を不義の道具として罪に献げてはいけません。むしろ、 死者の中から生かされた者としてあなたがた自身を神に献げ、また、あなたがたの 手足を義の道具として神に献げなさい」(ローマ6:13)。からだの様々な器官 は、神が用いる道具(あるいは武器)となるように意図されています。それらは私 たちのものではなく、神のものです。私たちはそれらを神にゆだねるのです。
神がご自分の「武器」を、弱く壊れた状態ではなく、良い状態に保ちたいと願っておられることは明らかです。神は私たちのからだが健康で強く効果的、活動的で あってほしいのです。ある意味、キリストは私たち以外にこの地上にからだを持っ ておられません。私たちのからだは、神が地上でみこころを行うために用いる道具 なのです。私は、神が私たちのからだを最大限に強く健康に保つことを期待してお られると、確信するようになったのです。
【祈り】
イエスさま、私を買い取ってくださったことを感謝します。私のからだの器官は、神さまが用いてくださる道具であり、私はそれを神さまにゆだねること
を宣言します。私は代価をもって買い取られました。私は神さまのものです。 アー メン。