詩篇137:4-6
「私たちがどうして、異国の地にあって主の歌を歌えようか。エルサレムよ。もしも、私がおまえを忘れたら、私の右手がその巧みさを忘れるように。もしも、私がおまえを思い出さず、私がエルサレムを最上の喜びにもまさってたたえないなら、私の舌が上あごについてしまうように。」
これは、捕らえられ、異国に追放された神の民の悲痛な叫びです。彼らには歌もなく、柳の木に立琴をかけ、奪われた喜びや町、自分たちの土地の美しさを思い出しています。そのように、神は時に私たちがそれらに心から感謝しなければ、祝福をくださらないことがあります。
バビロン捕囚から戻って来たユダヤ人たちに、以前よりはるかに大きなシオンへの思いと約束が戻ってきたであろうと私は信じます。私は、同じことが今日のユダヤ人たちの帰還にも当てはまると信じています。彼らが完全に回復されるとき、長年の追放における不従順と反抗によって失ったすべてのものを以前にもまして感謝するようになるでしょう。そして、私たちも覚えておきたいことは、神は私たちを時にそのように取り扱うということです。もしあなたが今とらえられている、虐げられていると感じていて、不従順と反抗によって失った祝福を願うなら、それらの祝福を回復するとき、あなたは経験したことがないほどの感謝をするでしょう。あなたが自分で経験し、神は、あなたがそれを学んだことを知って、あなたが、神がなしてくださったことに感謝することを本当に学んだとき、あなたを回復してくださる準備ができています。
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