詩篇95:1-2、6-8
「さあ、主に向かって、喜び歌おう。われらの救いの岩に向かって、喜び叫ぼう。感謝の歌をもって、御前に進み行き、賛美の歌をもって、主に喜び叫ぼう。」
「来たれ。私たちは伏し拝み、ひれ伏そう。私たちを造られた方、主の御前に、ひざまずこう。主は、私たちの神。私たちは、その牧場の民、その御手の羊である。きょう、もし御声を聞くなら、メリバでのときのように、荒野のマサでの日のように、あなたがたの心をかたくなにしてはならない。」
神の突然の臨在の中に私たちが導かれる美しい前進がここに描かれています。それは、叫びと喜びの賛美、感謝で始まります。「さあ、主に向かって、喜び歌おう。われらの救いの岩に向かって、喜び叫ぼう。」 神は私たちに自由に賛美、感謝を表現することを励ましています。
しかし、さらに進むと、「私たちは伏し拝み、ひれ伏そう。私たちを造られた方、主の御前に、ひざまずこう。」とあります。賛美と感謝は、私たちを礼拝へと導きます。礼拝は多くの言葉によるものではありません。礼拝は、伏し拝み、ひれ伏す、私たち自身を神に明け渡すことで、そのような心構えで礼拝するとき、私たちは神の声を聞くことができます。ですから、詩篇の作者は、「きょう、もし御声を聞くなら」、と言っているのです。神の声を聞くことがどういうことかを、ほとんど知らないクリスチャンがあまりにも多いことは非常に残念です。神の声を聞くことは、霊的生活のすべての成功のカギなのです。そして、もし、神の声を聞くことができる心構えをもって、礼拝へと導かれる賛美と感謝の小道を歩むなら、計り知れない祝福のカギを持つことになるのです。
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