私のからだは、神の働きのため、また神の栄光のために神に献げた義の道具です
私たちは選択しなければなりません。何かが私たちをコントロールしようとして、罪か義のどちらを選べと迫ってきます。義を選ぶと言えば、私たちは試されます。サタンは成功するチャンスがある限りは、あきらめないのです。
人が試され、誘惑されるとき、サタンは誘惑できないとわかるまで誘惑し続けます。サタンは賢いので、誘惑できない人に対して時間を浪費するようなことはありません。しかし、もし私たちの内に二心や迷いがあったらな、サタンはそれを利用します。私たちはしっかりとした決断をしなければなりません。
あなたがたの肉の弱さのために、私は人間的な言い方をしています。以前あなたがたは、自分の手足を汚れと不法の奴隷として献げて、不法に進みました。(ローマ6:19)
私たちが不法を選ぶなら、それは増大します。ますます不法に進んでいきます。多くの人はそのような経験があるでしょう。
不法に進むのではなく、「今はその手足を義の奴隷として献げて、聖潔に進ませるのです。」(ローマ6:19)
信仰生活の中で立ち止まっていることは、ほぼ不可能です。前進するか、後退するかのどちらかです。つまり、聖潔に進むか、反抗に進むかのどちらかです。
【祈り】
イエスさまの十字架での勝利を感謝します。私は義の奴隷として自分自身を献げ、私のからだは、神の働きのため、また神の栄光のために神に献げた義の道具であると宣言します。アーメン。