忍耐をもって走り続けようではありませんか
ヘブル人への手紙12章1節の「一切の重荷…を捨てて」という箇所は、競争の観点から考える必要があります。走者は、服のポケットを空にして、できるだけ軽くて動きやすい服を着ます。不必要な重さを1グラムでも減らします。正確には罪ではないものでも、重荷になったり、ためらわせたりするものがあります。それらは、私たちの力を消耗させたり、私たちを誘惑したり、多くの時間や興味を費やすよう仕向けるのです。
これは、短距離走ではないことを忘れないでください。長距離の耐久レースです。求められるのは、忍耐力です。多くの人々が信仰生活をまるで短距離走であるかのように始めます。そして、しばらくすると、競技トラックの横で息を切らしています。疲れきって、再び走ることがなかなかできません。伝道者の書9章11節は賢明な指摘をしています。「競走は足の速い人のものではなく、戦いは勇士のものではない。」
次の言葉は、勝利者となった使徒パウロの証しです。
私は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。あとは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。その日には、正しいさばき主である主が、それを私に授けてくださいます。私だけでなく、主の現れを慕い求めている人には、だれにでも授けてくださるのです。(Ⅱテモテ4:7-8)
パウロは、自分が勝利したことを知っていました。走るべき道のりを走り終え、賞が自分を待っていることを知っていたのです。これは、輝かしい証しです。条件さえ満たせば、それは私たちの証しにもなり得るのです。重要なのは、スピードや強さではなく、耐久力です。
【祈り】
主よ、私が走り続けることができるように助けてくださることを感謝します。私は、長距離の耐久レースを完走するために、一切の重荷を捨てます。私は忍耐をもって走り続けます。アーメン