霊における礼拝

私は神と一つとされ、霊においても一つとされました

私たちのからだ、たましいに対して主が求めておられることを満たすとき、私た ちの霊は解放され、神との交わりの中に入ります。その交わりは、人間の堕落に よって失う前の交わりよりもさらに素晴らしいものです。パウロは、コリント人へ の手紙第一6章17節でこう言いました。「しかし、主と交わる者は、主と一つの 霊になるのです。」その意味は明らかです。贖われた霊は、神との親密な結びつき を楽しむことができるようになったのです。しかし、この直接的で親密な神との結 びつきを経験できるのは、たましいでもからだでもなく、霊だけなのです。 

私たちの霊がこの神との一致に入るのは、おもに礼拝の行為を通してです。ヨハ ネの福音書4章23~24節で、イエスは言われました。「しかし、まことの礼拝 者たちが、御霊と真理によって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。…神は 霊ですから、神を礼拝する人は、御霊と真理によって礼拝しなければなりませ ん。」イエスは、真の礼拝は霊の活動でなければならないことをはっきりと言われ たのです。 

現代の教会では、礼拝の本質がほとんど理解されていません。その理由はおもに、 霊とたましいの区別ができていないからです。礼拝は人を楽しませるためのもので はありません。礼拝は賛美と同じでもありません。私たちはたましいで神を賛美し ますし、それは正しいことです。賛美を通して私たちは神の臨在に入ります。しか し、いったん神の臨在に入ったら、神との真の霊的な結びつきを楽しむのは、礼拝 を通してです。このように神を礼拝できるようになることが、救いのゴールとなる のです。まず地上で、そして後に天においてです。それは、人間ができる最高で最 も神聖な活動です。しかし、礼拝は、たましいとからだが霊に服従し、霊と調和し た時にのみ可能になるのです。そのような礼拝は、言葉にはできないほど深いもの である場合がほとんどです。神との濃密で静かな結びつきとなるのです。 

【祈り】

イエスさま、私をあなたに結びつけてくださったことを感謝します。私 の最高の活動は神さまと結びつき、霊と真によって礼拝することであると宣言しま

す。私は神さまと一つとされ、霊において一つとされたことを宣言します。アーメ ン。

Blue scroll to top arrow iconBlue scroll to top arrow icon
ソーシャルメディアで共有する

共有していただきありがとうございます。

ページリンク
Link Copied!
https://www.derekprince.com/
Black copy link icon