成熟へと進む

成熟を目指して進もうではありませんか

この「成熟を目指して進もうではありませんか」は、新約時代のヘブル人に特に当てはまることばです。そのような生き方をしていなかったからです。彼らは、自分たちの特権に甘んじて、その中に安住していました。率直に言って、彼らは怠惰でした。その特権を当然のことだと思っていたのです。

私たちには話すことがたくさんありますが、 説き明かすことは困難です。あなたがたが、聞くことに対して鈍くなっているからです。あなたがたは、年数からすれば教師になっていなければならないにもかかわらず、神が告げたことばの初歩を、もう一度だれかに教えてもらう必要があります。あなたがたは固い食物ではなく、乳が必要になっています。乳を飲んでいる者はみな、義の教えに通じてはいません。幼子なのです。固い食物は、善と悪を見分ける感覚を経験によって訓練された大人のものです。(へブル5:11-14)

ここで著者は、へブル人は単なる霊的な幼子であると、はっきりと言っています。クリスチャンの歩みにおいて、彼らはその時点で幼子であってはなりませんでした。長年多くの機会に恵まれていたので、その時までには成熟しているはずでした。この著者は、成熟するための唯一の方法も説明しています。それは、善と悪を見分ける感覚を訓練することです。義の道を成熟に向かって進むには、常に自分を訓練することが必要です。それは自動的に起こるものではなく、訓練が必要です。ですから、初期のステップにあったように、「努めようではありませんか」と言われているのです。私たちは善と悪を見分ける訓練をしなければなりません。

たくさんの信者がいる大きな教会であっても、霊的で聖書的なことと、単に肉的な思いに訴えかける表現とを見分けることができないことが多くあります。唯一の解決策は、その感覚を絶えず用い、注意深く実践することによって、自分自身を訓練することだけです。

【祈り】 

主よ、あなたが私を前進させてくださることを感謝します。私は特権に甘んじることも、その中に安住することもせず、成熟を目指して私自身を訓練することを宣言します。私は成熟を目指して進みます。アーメン。

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