イエスの血によって、私は聖なるものとされ、神に聖別されています
イエスの血による聖めの力を見るにあたって、ヘブル人への手紙に書かれている背教者について見ていきたいと思います。背教者とは、キリストを信じていた人がその信仰から離れて、主イエス・キリストを故意に否定、拒絶するようになることです。その箇所では、その背教者が放棄したもの、ある意味汚すことになった「神聖なもの」について語られています。
まして、神の御子を踏みつけ、自分を聖なるものとした契約の血を汚れたものと見なし、恵みの御霊を侮る者は、いかに重い処罰に値するかが分かるでしょう。(ヘブル10:29)
この節から、私たちは契約の血によって聖なるものとされたことが明確です。しかし、ここでは、新しい契約の血によって聖なるものとされ、その後、元の状態に戻ってしまう人についても語られています。イエスの血を踏みつけることの意味をよく見てみましょう。ここで語られているのは、過越の儀式に関連していて、血は鴨居と門柱に塗られ、決して敷居には塗りませんでした。私たちは決してイエスの血を侮辱するような態度をとってはいけません。
【祈り】
イエスさまの血潮を感謝します。私は契約の血を心から敬うことを宣言します。この血によって、私は聖なるものとされ、神に聖別されています。アーメン。