成熟を目指して進もうではありませんか
これまで、へブル人への手紙から、四つの「(~しよう)ではありませんか」を見てきました。五つ目は、私たちにとって新しい決意となるでしょう。それは、ヘブル人への手紙6章1節にある、
「ですから私たちは、キリストについての初歩の教えを後にして、成熟を目指して進もうではありませんか」
です。多くのクリスチャンは信仰生活の中で、「ようやくたどり着いた」と腰を下ろすことができる地点に「達する」ことができるだろうと考えています。しかし、そうではありません。成熟した信仰生活において、静止した状態でいることはほぼ不可能です。箴言4章18節にあるように、
「正しい人(義人)の進む道は、あけぼのの光のようだ。いよいよ輝きを増して真昼となる」
のです。「正しい人の進む道」とは、特定の信者や信者のグループのことではなく、一人ひとりの正しい人々(義人)のことを言っています。
正しさ(義)は、進む道であることに注意してください。道は、じっと立っているためのものではなく、ましてや座るためのものでもありません。道である正しさ(義)は、動き、進歩、発展を意味します。この道は、私たちが救い主のその栄光に満ちた姿を初めて知った時の夜明けの光のようなものです。暗闇の後に昇る太陽のようなもの、私たちの心に訪れる夜明けのようなものです。しかし、夜明けは、神の最終的な目的ではなく、始まりに過ぎません。
私たちが義の道を歩み続けるとき、その光はどんどん明るくなっていきます。一歩一歩、そして日ごとにその光は明るさを増していきます。「真昼」が、私たちの目的地、目指す高みです。
神は、真昼の輝き以下のところで私たちが止まってしまうことを喜ばれません。夜明けは出発点であり、その道は進歩の道なので、光はますます明るくなっていきます。しかし、真昼にたどり着くまで、立ち止まることはできません。
【祈り】
主よ、あなたが私を前進させてくださることを感謝します。義は道であって、神さまは、私の動き、進歩、発展を期待しておられることを宣言します。私は成熟を目指して進みます。アーメン。