恵みの御座に近づこうではありませんか
聖書は、
「たとい自分の心が責めてもです。なぜなら、神は私たちの心よりも大きく、そして何もかもご存じだからです」(Ⅰヨハネ3:20/口語訳)。
何事も神に隠す必要はありません。神に対して率直で素直でなければなりません。すべての背きの罪や罪深い思い、短所を心から告白するのです。すべてを告白したら、完全な赦しと完全なきよめを受け入れなければなりません。神は私たちの罪を決して思い出すことがなく、もはや私たちを責めることはないからです。ですから、私たちは罪責感なしに神のもとに行くことができるのです。
祈りについて、パウロはテモテへの手紙第一2章8節でこう言っています。
「そういうわけで、私はこう願っています。男たちは怒ったり言い争ったりせずに、どこででも、きよい手を上げて祈りなさい。」私たちは、神に近づくことを妨げる心の中の暗い思いや態度を取り除かなければなりません。
聖書は、もし疑いを抱くなら、罪ある者とされると言っています(ローマ14:23参照)。
このように、私たちは罪責感を持った状態で神の前に出ることはできないのです。聖書はこう言っています。
疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。その人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。そういう人は二心を抱く者で、歩む道すべてにおいて心が定まっていないからです。(ヤコブ1:6-8)
自分自身や他の人に関するあらゆる否定的な態度や間違った態度とともに、罪悪感の問題全体を捨てなければなりません。へブル人への手紙4章16節にあるように、大胆に近づかなければなりません。「ですから私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、折にかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」忘れないでください。私たちが近づくのは、恵みの御座であり、恵みは神とともに座しています。私たちが神のもとに行くのは、正義のゆえではなく、恵みのゆえです。
【祈り】
主よ、私は大胆にあなたのもとに行くことができることを感謝します。私は大胆に恵みの御座に行くために、罪責感とすべての妨げを取り除くことを宣言します。私は恵みの御座に近づきます。アーメン。