互いに注意を払おうではありませんか
この八つ目の「(~しよう)ではありませんか」は、ギリシャ語では「互いに思いやろうではありませんか」です(ヘブル10:24)。しかし、ヘブル人への手紙3章1節を見てみると、「考えなさい」という語が使われています。「私たちが告白する、使徒であり大祭司であるイエスのことを考えなさい。」イエスのことを考えると、互いのことを考える(顧みる)ようになります。ただし、その順序が重要です。まずイエスのことを考え、次にお互いのことを考えるのです。単に人として関わるのか、キリストにある者として関わるのかで、大きな違いを生みます。
私が東アフリカで教師を養成する大学の校長をしていたときに起こった出来事を思い出します。学生をあと一人だけ受け入れる枠がありましたが、志願者は少なくとも10人いました。ある女の子は面接を受けるためだけに38㎞の道のりを裸足で歩いて来ました。アフリカの人々が教育を受けるためにどれほど必死であるかを想像できるでしょう。教育は人生の成功する鍵であると考えられていました。
また、ある日、年配の母親が入学予定の息子の代わりに私のところにやって来ました。その息子は入学の資格を満たしていなかったので、私たちは彼を受け入れなかったのです。その母親は、しつこく文句を言い、私は怒りさえ抱きました。アフリカの人々は民主主義を信じていません。首長や強い男を信じ、そのような人が重要だと考えています。この母親は私にしつこく言い続けました。「あなたは偉いんだから、あなたが言うことが絶対なんでしょう。」私はあまりにも腹が立ったので、思っていることが口から出そうになりました。しかし、それは聖い思いからのものではありませんでした。その時、主は私に優しく語りかけてくださいました。「忘れてはいけない。彼女はわたしの子どもの一人なのだ。彼女への扱い方に注意しなさい。」私は悔い改めました。彼女は本当に大切で尊い、神の子どもでした。私たちが最初にイエスのことを考えるなら、相手のこと、互いのことをどう考えるかに大きな違いが出てくるでしょう。
【祈り】
主よ、私が他の人を愛することを助けてくださることを感謝します。私は最初にイエスのことを考えることを宣言します。この視点が他の人のことを考えることに影響を与えます。私は他の人に注意を払います。アーメン。