私たちが神と永遠に交わることができるために、イエスは死によって絶たれました
ヨハネの福音書4章23~24節で、父は御霊と真理による礼拝者を求めておら れると、イエスは言われました。礼拝は霊の働きです。私たちが一つ霊として主と交わる行為は何ですか。礼拝です。ですから、礼拝は人間にとって最も崇高な活動 なのです。
私たちが礼拝の中で主と交わるとき、神が生み出したいと願っておられるものを 生み出し始めます。礼拝はクリスチャン生活の付録のようなものではありません。 教会での礼拝プログラムに追加されたものでもありません。礼拝は集大成であり、 信仰の証です。誤解のないように言いたいのですが、礼拝は私たちの主との結婚の 完成です。礼拝は私たちを一つ霊で主と結びます。その結婚で一つとなる時、それ は常に子孫を残すため、つまり、私たちが霊的な実を結ぶときです。霊的な実とは、 ガラテヤ人への手紙5章22~23節に挙げられている「御霊の実」で、「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」です。
この箇所で挙げられている種類の実を結ぶ人は、律法に支配されることはありま せん。彼らは律法の下にはいません。律法の下での肉の性質との結婚から解放され、自由の身となって、よみがえられたキリストと聖霊によって結婚し、その結婚にふ さわしい実を結びます。クリスチャン生活の鍵は、努力ではありません。一つにな ることです。
【祈り】
イエスさま、あなたの十字架のみわざを感謝します。私は主を礼拝する時、一つ霊で主と結ばれていることを宣言します。私が永遠に神さまと交わること ができるために、イエスさまは死によって絶たれました。アーメン。