恵みの御座に近づこうではありませんか
詩篇51篇は、たましいが揺さぶられる深い苦悩の中で祈ったダビデの祈りです。それは、バテ・シェバと姦淫し、彼女の夫ウリヤの殺害を企てた罪が明らかにされたあとの悔い改めの祈りでした。ダビデはこう書いています。
「神よ 私をあわれんでください。あなたの恵みにしたがって。私の背きをぬぐい去ってください。あなたの豊かなあわれみによって」(詩篇51:1)。
「あなたの恵みにしたがって」とは、別の言い方をすれば、「契約を守るあなたの誠実さ」です。ダビデは、「私が必要な条件を満たすなら、あなたは私を赦してくださると約束しておられます。ですから、私はそれに基づいてあなたに赦しを求めます」と言っているのです。そのようにして神に近づくことが大切なのです。
詩篇106篇1節はこう言っています。
「ハレルヤ。主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。
恵みは、神の永遠のご性質の一つです。ヘブル人への手紙4章 16節には、こう書かれています。
「ですから私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、折にかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」
最初に、私たちにはあわれみが必要ですが、恵みも必要です。恵みについて聖書は何と言っているでしょうか。恵みは、行いによって得ることはできません。もし、そうだとしたら、それは恵みではありません。宗教的な人々は、すべてのものは行いによって得なければならないと考えがちです。その結果、彼らは神の恵みを拒絶する傾向があります。パウロが書いているように、「恵みによるのであれば、もはや行いによるのではありません。そうでなければ、恵みが恵みでなくなります」(ローマ11:6)。へブル人への手紙4章16節には、私たちが行いによって得ることのできない二つのことが書かれています。それは、「あわれみ」と「恵み」です。過去のためにはあわれみが、そして将来のためには恵みが必要なのです。神の恵みによってのみ、神が求めておられる人となることができ、神が求めておられる生き方ができるのです。
【祈り】
主よ、私は大胆にあなたのもとに行くことができることを感謝します。私は、自分の過去のためのあわれみと将来のための恵みを受け取るために、神さまの恵みにしたがって神の前に行きます。私は恵みの御座に近づきます。アーメン