神の主導権

私は聖なる者です 

聖なる者とされるプロセスは、贖いにおけるすべてのプロセスと同じく、主導権は人間ではなく、神にあります。世界の基が据えられる前から私たちを選んだところから始まっています。その後に起こった一連の出来事は次の通りです。①聖霊が私たちに影響を与え始める。②神は私たちが歩んでいた滅びに至る広い道から私たちを引き離してくれた(マタイ7:13を参照)。③真理なるお方イエス・キリストに出会わせてくださる(ヨハネ14:6を参照)。④真理を信じる信仰を与えてくださる。⑤真理を信じることを通して救われる。

エペソ人への手紙2章8節で、「私たちは信仰によって救われる」とパウロは言っています。そして、この信仰は私たちから出たのではなく、聖霊からの賜物だと強調しています。このことから、聖なる者とされることは、神のために選び分けられる(聖別される)ことだと定義することができます。多くの場合、聖なる者とされる(聖化)プロセスは、私たちが個人的に神を知るようになる前から始まっています。使徒パウロも預言者エレミヤも、母親の胎内にいる時から選び分けられていました(ガラテヤ1:15、エレミヤ1:5)。神は、私たちが何の知識もない時からご自身のために私たちを選ぶところから始められたのです。

父なる神の予知のままに、御霊による聖別によって、イエス・キリストに従うように、またその血の注ぎかけを受けるように選ばれた人たちへ。恵みと平安が、あなたがたにますます豊かに与えられますように。(Ⅰペテロ1:2)

永遠の昔からの神の選びは、神の予知に基づいており、決して恣意的なものでも、無作為なものでもありません。聖霊は私たちをキリストのことばと向き合う場所へと引き寄せ、福音に従う恵みを与えてくださいます。私たちが従う時、イエスの血が私たちの上に注がれます。このペテロの手紙第一の聖句から、聖なる者とされるプロセスの主導権は人間にではなく神にあり、そのプロセスで最初に行動を起こすのは聖霊であることがわかります。

【祈り】

イエスさま、私を召してくださったことを感謝します。私は、永遠の昔からの神さまの主導権と選びは、恣意的なものでなかったことを宣言します。私は聖なる者とされています。アーメン。

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