信仰の告白を堅く保とうではありませんか
イエスは、「私たちが告白する大祭司」(へブル3:1)です。私たちの告白は、イエスを私たちの大祭司になってくださいと求めるものですが、残念ながら、その逆もまた真です。もし、告白しないなら、私たちに大祭司はいません。それは、イエスが大祭司でなくなったのではなく、私たちがイエスに大祭司としての働く機会を与えないということなのです。
聖書が言っているように、私たちが正しいことを言うなら、私たちは恥を見ることはありません。つまり、私たちが告白することを常に経験できるように、イエスご自身が永遠に大祭司としての義務を果たしてくださるのです。しかし、私たちが正しいことを言わないなら、悲しいことに、私たちは大祭司を沈黙させてしまいます。イエスが天国で私たちのために言ってくださることは何もありません。
イエスは、私たちを「弁護する方」(Ⅰヨハネ2:1/新改訳第三版)とも呼ばれています。です。それは、弁護士という語に似ています。イエスは、天で私たちの訴えを弁護するためにいてくださる法律の専門家です。イエスが裁判に負けることは決してありません。しかし、私たちが告白をしなければ、イエスは弁護依頼を受けていないので欠席裁判となり、私たちに不利なものとなってしまいます。
告白はどれほど重要かということがわかるでしょう。ですから、へブル人への手紙にある三つ目の「(~しよう)ではありませんか」に注意を払うことが極めて重要です。
「信仰の告白を堅く保とうではありませんか」(へブル4:14)。
正しい告白をするというこの原則は、福音においても、私たちの救いの体験においても、中心的な位置を占めています。事実、正しい告白なくして、救いはありません。
【祈り】
イエスさま、あなたは私たちが告白する大祭司であることを感謝します。私が聖書に従って私の口で信仰を持って語るとき、イエスさまは私が告白することを経験できるように、永遠に大祭司としての義務を果たしてくださることを宣言します。私は、信仰の告白を堅く保ちます。アーメン。