信仰の告白を堅く保とうではありませんか
「告白」は別の言葉で言うと、「証し」です。黙示録にはこう書かれています。
「兄弟たちは、子羊の血と、自分たちの証しのことばのゆえに竜[サタン]に打ち勝った」(黙示録12:11)。
神のことばがイエスの血が私たちのために何をしてくださるかを、個人的に証しするとき、私たちはサタンに打ち勝つことを知っています。証しとは、非常に単純なことで、みことばに同意する言葉を語るだけです。証しは、私たちを救うもの、私たちを守るものです。その重要性はいくら強調しても、し過ぎることはありません。
へブル人への手紙の著者は、イエスを「私たちが告白する大祭司」と呼んでいます。「告白」の文字通りの意味は、「同じことを言う」です。聖書とイエス・キリストを信じる私たちにとって、告白とは、神がみことばで言っておられるのと同じことを、私たちの口で言うことです。私たちの口のことばを、神のことばと一致させるのです。私たちが正しい告白をするときにのみ、イエスは私たちのために弁護してくださいます。その「証し」、あるいは「告白」は、私たちが神の救いを受けるために欠かせないものです。
イエスは言われました。
「あなたは自分のことばによって義とされ、また、自分のことばによって不義に定められるのです」(マタイ12:37)。
私たちが語ることばが、運命を決めるのです。ヤコブは、舌は舵のようなものだと言いました。それはごく小さな船の部分でありながら、 船がどこに行くかを正確に決定づけるものです(ヤコブ3:4参照)。私たちは自分の舌をどう用いるかによって、自分の人生のコースを決定づけるのです。正しいことを言って、私たちの口のことばを神のことばに一致させることもでき、間違ったことを言って、人生を狂わせることもできるのです。自分の舌の使い方によって、無事に港にたどり着くか、難破してしまうかが決まるのです。
【祈り】
イエスさま、あなたは私たちが告白する大祭司であることを感謝します。子羊の血と、私たちの証しのことばによって、私は敵に勝利することを宣言します。私は信仰の告白を堅く保ちます。アーメン。