ご自分のいのちを私たちに与えるために、イエスは死なれました
イザヤ書53章は、イエスの受難が起こる700年以上前に書かれた、その苦し みの詳細な預言的描写です。
彼は痛めつけられ、苦しんだ。だが、口を開かない。屠り場に引かれて行く羊 のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。虐 げとさばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったこと か。彼が私の民の背きのゆえに打たれ、生ける者の地から絶たれたのだと。彼 の墓は、悪者どもとともに、富む者とともに、その死の時に設けられた。彼は 不法を働かず、その口に欺きはなかったが。(イザヤ53:7-9)
これらは細部に至るまで、イエスの苦しみと死において正確に成就しました。第 一に、福音書が繰り返し強調しているのは、イエスがご自分を非難する者たちに、 答えたり、ご自分を正当化したり、弁護したりしようとはしなかったことです(例/ マルコ15:3-5)。不当な非難とさばきがイエスを死に至らしめ、イエスは 「生ける者の地から絶たれ」ました。
イエスの埋葬の詳細もまた、驚くほど正確です。「彼の墓は、悪者どもとともに、 富む者とともに、その死の時に設けられた。」「悪者ども」という複数形から、 「富む者」という単数形に変化しています。歴史的に見ても、イエスは埋葬のため に両隣の「二人の強盗」とともに十字架から降ろされましたが、その後、「裕福な アリマタヤのヨセフ」の墓に葬られたことがわかります。
イザヤは、イエスが死んだのは、ご自分の罪や咎の為ではなかったことを強調し ています。イエスは完全に無実でしたが、犯罪人としての死を遂げられたのです。
【祈り】
イエスさま、あなたの十字架のみわざを感謝します。私は、イエスさま が私のために苦しみ死なれたことを宣言します。イエスさまは、ご自分のいのちを 私に与えるために、私に代わって死なれました。アーメン。