サタンには、私の中に居場所も、私を支配する力も、私を訴える権利もありません。すべては、イエスの血によって解決されました!
恐れやうつ、孤独、肉欲、怒りなどに悩む人々がいます。カウンセラーはある程度のところまでは助けてくれます。しかし、結局のところ、解決は私たちの手にあり、それは十字架です。私たちは、その問題がいつ、どこで始まるかという性質を見極めなければなりません。解放のミニストリーには、門番である二人の悪魔がいます。彼らは次の悪魔が入るためにドアを開けます。この門番たちの名は、自己憐憫と憤りです。自己憐憫はサタンの非常に強力な道具です。また、憤りを持ったままでもいけません。
ある時点が来たら、私たちは毅然とした態度をとらなければなりません。十字架は毅然としています。快適さも、魅力も、甘えもありません。しかし、十字架こそが脱出の道であり、神の備えであることを神に感謝します。ほとんどの人が「持病」のような罪を抱えています。あまりにも日常的なので、自分の一部だと考えてしまっている罪です。その罪を憎むことは、自分自身を憎むようなものなので簡単ではありません。興味深いことに、私の「持病」は、私の父が抱えていた問題でした。子どもは親から多くのものを受け継ぎ、ある種の行動パターンを身につけてしまいます。私は自分の中に父のふるまいをそのまま再現したようなふるまいがあると分かっています。自分の問題の性質を見極めるために、聖霊に祈り求める必要があります。口にするのを戸惑うかもしれませんが、肉欲、嘘をつくこと、高慢など、具体的な名称を使って祈ってください。そして、「イエスによって、その罪(具体的な名称で)は十字架につけられました。私はそれを十字架につけました。その罪に私を支配させません。十字架によって、私はそれから解放されています」と宣言してください。
【祈り】
主よ、イエスさまの血潮を感謝します。私は、イエスにあって、私の人生を悩ませる罪(具体的な名称で)は十字架につけられました。私もそれを十字架につけます。もはやその罪に私を支配させません。サタンは私の中に居場所はなく、私を支配する力も、私を訴える権利もないことを宣言します。すべては、イエスさまの血によって解決されました。アーメン。