生きたささげ物

私のからだは主のためにあり、主は私のからだのためにおられます

ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。(ローマ12:1)

ローマ人への手紙の始めの部分で、私たちは驚くべき神学に直面します。それは、私たちのからだを生きたささげ物として神に献げなさい、という言葉で始まっています。

「からだはそれほど重要ではない、本当に重要なのはたましいだ」と考えるかもしれません。しかし、具体的な例を挙げましょう。コップ一杯の水が欲しい時、コップと水の両方が必要です。入れ物となるコップがなければ水をもらうことができません。それこそ神が言っておられることです。神はからだという器と、その中身であるたましいを望んでおられるのです。器なしに中身だけを献げることはできません。

私たちのからだを「生きたささげ物」とするとは、どういう意味でしょうか。旧約聖書のささげ物は、動物を屠ったあと、祭壇に献げるというものでした。神は言われます。「あなたのからだも旧約聖書のささげ物と同じように完全なものを望んでいるが、一つだけ違うことがある。わたしが望むのは死んだからだではない。生きたからだだ。わたしがあなたのからだを持つとき、あなたを持つことになる。」

マタイの福音書23章で、イエスはパリサイ人に向かって、神への奉仕で本当に大切なものは何かを説明しています。パリサイ人たちは、ささげ物は祭壇よりも重要だと言っていました。イエスは言われました。

「目の見えない者たち。ささげ物と、そのささげ物を聖なるものにする祭壇と、どちらが重要なのか」(マタイ23:19)。

祭壇はその上に置かれたささげ物を聖くします。ささげ物は神の祭壇に置かれることによって聖なるものとされます。私たちのからだも同じです。私たちが自分のからだを神の祭壇に置くとき、それは聖なるものとなります。聖くされ、神のために選び分けられます。私たち一人ひとりがそのようにして献げなければならないのです。

【祈り】

 主よ、私のからだのためのあなたの備えを感謝します。私は、自分のからだを生きたささげ物として神さまに献げます。私のからだは主のためにあり、主は私のからだのためにおられることを宣言します。アーメン。

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