御子イエスの血は、すべての罪から私をきよめます
私は個人的に、「私が光の中を歩んでいる限り、イエスの血はすべての罪から、今この瞬間も、そして、絶えずきよめ続けてくれる」と証しできます。一般論に基づいて何となく「今も私をきよめている」と言っているのではありません。それは、私は今の時点でもきよめられており、それはまた継続してこれから先もきよめられるという意味です。
東アフリカで話されているスワヒリ語には、完全で永久的なものを表現する特別な時制があります。「The Blood of Jesus Cleanses Us from All Sin」という古い賛美歌の中に、「イエスの血は完全に私たちをきよめます」という歌詞があります。あまりにも見事に表現されている歌詞に私は心を打たれました。この告白を、継続的で完全なものとして捉えてください。
詩篇51篇は、この真理が美しく表現されています。それは、ダビデが姦淫と殺人の罪を犯した後に書いた悔い改めの詩です。この詩篇は最も美しい詩篇の一つであり、私たち一人ひとりが時々読み、自分自身の祈りにするとよいでしょう。私自身も、詩篇をただ読むだけではなく、自分の祈りとして読むようにしています。
ヒソプで私の罪を除いてください。そうすれば私はきよくなります。私を洗ってください。そうすれば私は雪よりも白くなります(詩篇51:7)。ここでダビデは「ヒソプ」を持ち出しています。ヒソプは自分がいる場所に血を持ってくるものだからです。これは、イエスの血できよめられることを表現した美しい預言的な言葉です。
【祈り】
主よ、イエスさまの血を感謝します。イエスさまの血は、すべての罪から、今もきよめ、そして常に私をきよめ続けてくださると宣言します。御子イエスの血は、すべての罪から私をきよめてくださいます。アーメン。