私の古い人はキリストにあって死にました。それは、新しい人が私のうちに生きるためです。
神から生まれた者はだれも、罪を犯しません。神の種がその人のうちにとどまっているからです。その人は神から生まれたので、罪を犯すことができないのです。 (Ⅰヨハネ3:9)
これは、新生したクリスチャンは、決して罪を犯さないと言っているのでしょうか。もしそうなら、私を含めて多くのクリスチャンが除外されてしまうでしょう。本当に神によって新しく生まれた人でも、「この人は罪を犯すことができない」と言えるような人は一人もいません。では、この聖句はどのようなことを教えているのでしょうか。
私は、これは私たちのうちに生まれた新しい性質のことを言っていると思います。罪を犯すことのできない性質、つまり「イエスの性質」で、新しい人のことです。このことを理解することは非常に重要です。なぜなら、その性質を育て、その性質に自分を明け渡すことによってのみ、私たちは罪に打ち勝つ人生を歩むことができるからです。
ヨハネの手紙第一5章4節は、「神から生まれた者はみな、世に勝つからです」と言っています。ヨハネは「人」についてだけではなく、「性質」、つまり、その人のうちにある新しい性質についても言っているのだと私は理解しています。この新しい性質は、罪を犯すことができない「朽ちない性質」です。なぜ、朽ちないのでしょうか。神の種がその新しい人のうちにとどまるからです。種とは何でしょうか。ペテロの手紙第一1章23節に、こう書かれています。「あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく朽ちない種からであり、生きた、いつまでも残る、神のことばによるのです。」つまり、種とは神のことばです。
神のことばという種の性質とは、どのようなものでしょうか。それは、「朽ちない」ことです。その正反対は、古い人の性質、つまり朽ちる性質です(実際、それはすでに朽ちています)。
【祈り】
イエスさま、あなたが十字架でなされた交換を感謝します。私のうちに罪を犯すことのできない、イエスさまの性質を持った新しい人が創造されたことを宣言します。私の古い人はキリストにあって死にました。新しい人が私のうちに生きるためです。アーメン。