動揺しないで、しっかりと告白し続けようではありませんか
正しい告白をすることと、動揺しないでそれを堅く保つことが大切です。パウロが描写しているアブラハムの例を見てみましょう。アブラハムは動揺することなく、堅く保ち続けた人物の良い例の一人です。パウロはこのように書いています。
彼は、およそ百歳になり、自分のからだがすでに死んだも同然であること、またサラの胎が死んでいることを認めても、その信仰は弱まりませんでした。(ローマ4:19)
本物の信仰は事実を直視します。事実を見ようとしない態度は、本物の信仰ではありません。アブラハムは自分を欺こうとはしませんでした。事実とは異なることを想像することはありませんでした。自分の感覚において、自分のからだも、妻のサラの胎もすでに死んだも同然であることを認めていました。しかし、アブラハムは自分の感覚だけに頼ることはしませんでした。パウロはこう続けています。
不信仰になって神の約束を疑うようなことはなく、かえって信仰が強められて、神に栄光を帰し、神には約束したことを実行する力がある、と確信していました。だからこそ、「彼には、それが義と認められた」のです。 (ローマ4:20-22)
アブラハムは、「信じるすべての人の父」(ローマ4:11)と呼ばれ、アブラハムの信仰の足跡に従って歩むように勧められています(12節参照)。私たちも同じ信仰の歩みをし、神の約束をしっかりと握り、告白をし、その告白を動揺せずに堅く保ち、自分の感覚で判断することを拒否し、見えない領域を見て、信仰によって、神の右におられる私たちの忠実な大祭司をしっかりと見ることが求められているのです。
【祈り】
主よ、あなたは誠実なお方であることを感謝します。私に希望を与えてくださいます。私は不信仰に揺るがされることなく、事実を直視することを宣言します。私は動揺しないで、しっかりと告白し続けます。アーメン。