苦難と統治

私は子とする御霊を受けました。この御霊によって、私は「アバ、父」と叫びます

パウロは、ローマ人への手紙8章18節でこう書いています。「今の時の苦難は、やがて私たちに啓示される栄光に比べれば、取るに足りないと私は考えます。」私たちがキリストとともに統治することを願うなら、苦しむ覚悟をしなければなりません。テモテ人への手紙第二には、こう書かれています。

次のことばは真実です。

「私たちが、キリストとともに死んだのなら、キリストとともに生きるようになる。(苦しみを)耐え忍んでいるなら、キリストとともに王となる。キリストを否むなら、キリストもまた、私たちを否まれる。私たちが真実でなくても、キリストは常に真実である。ご自分を否むことができないからである。」(Ⅱテモテ2:11-13)

このように、私たちは苦しむなら、王として治めるようになります。しかし、イエス・キリストを否定するなら、イエスも私たちを否定します。私たちは、人生の中でイエスとともに苦しむか、イエスを否定するかを試される時がやって来ます。その問題は私たちの前にはっきりと置かれるのです。(参照例;使徒14:22、ピリピ1:29-30、Ⅱテサロニケ1:4-10)

みなさんに説明したいイメージがあります。それは幕屋からのもので、特に大祭司の衣の主要な色である、青、紫、緋に関係します。青は天の象徴で、緋は血の象徴とともに人間の性質も表しています。紫は青と緋が完全に混ざり合ったもので、受肉した神であるキリストを物語っています。これは、天と血が完全に混ざり合った、神であり人であるイエス・キリストの性質を示す美しい姿です。

聖書における紫色の意味は二つあります。王権と苦しみです。まず地上で苦しむことによって紫色を身につけなければ、神の国で紫色を身に着けることはできません。私たちは、苦しむなら、キリストとともに王として治めることができるのです。

【祈り】

 父よ、私があなたの子どもであることを感謝します。私が苦しみを耐え忍ぶなら、あなたとともに治めるようになることを宣言します。私は子とする御霊を受けました。この御霊によって、私は「アバ、父」と叫びます。アーメン。

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