私たちが父に受け入れられるようにと、イエスは私たちの拒絶を耐え忍びました
「拒絶」を簡潔に定義すると、自分は喜ばれていないと感じる、あるいは、人から愛されたいと願うけれど、誰からも愛されていないと感じることです。また、いつも自分は仲間に入れてもらえていないと感じているグループの中に入りたいという願いかもしれません。現代人の多くが拒絶の問題に苦しむ理由の一つは、社会形態とそのプレッシャー、特に家庭の崩壊にあります。
拒絶の反対は何ですか。「受け入れ」です。私はエペソ人への手紙1章6節の最後の部分が大好きです。「それは、神がその愛する方にあって私たちに与えてくださった恵み[受け入れられるようにされた]の栄光が、ほめたたえられるためです。」神のひとり子イエスが拒絶されたのは、価値のない反抗者であった私たちが、御父に受け入れられるようにするためでした。私たちが抱える問題の最も確実な解決策は、私たちが御父に受け入れられるようにと、イエスが私たちの拒絶を負ってくださったと信じることです。
神の家族は最高の家族です。それに匹敵するものはありません。たとえ、あなたの肉親があなたを大切にしてくれなくても、父親があなたを拒絶したり、母親が一緒に時間を取ってくれたりしなくても、神はあなたを必要としています。あなたは受け入れられています。あなたは神の特別な配慮と愛情の対象です。神がこの宇宙でなさることはすべて、あなたに関係しているのです。
神が「私たちを受け入れている」と言う時、大目に見てくださるという意味ではありません。神の時間を奪うわけではありません。神を怒らせる唯一のことは、私たちが長い間神から遠く離れたままでいることです。神は私たちに、「待ちなさい。忙しいから、あなたのための時間はない」と追い払うことはありません。むしろ、「あなたに関心を持っている。あなたを私のものにしたい。さあ、おいで。あなたのことをずっと待っていたよ」と言ってくださいます。
【祈り】
イエスさま、あなたの十字架のみわざを感謝します。私は、神さまがイエスさまにあって、私を受け入れてくださっていることを宣言します。私が父から受け入れられるようにと、イエスさまは私の拒絶を耐え忍ばれました。アーメン。