動揺しないで、しっかりと告白し続けようではありませんか
信仰と、目に見えるものの間には、大きなギャップがあります。生まれつきの人間は、自分の感覚や判断に頼り、情報だけを信じ、見えるものによって歩みます。しかし、クリスチャンの霊的信仰生活は、自分の感覚に頼ってはいけません。コリント人への手紙第二5章7節は、こう言っています。「私たちは見えるものによらず、信仰によって歩んでいます。」信仰は、私たちを決して変わることのない目に見えないもの、永遠の領域とつないでくれます。感覚の世界は常に変化しており、一時的で、不安定で、はかなく、あてになりません。私たちは信仰によって、それとは異なる、永遠の現実と永遠の真理の世界とつながります。信仰によってその世界とつながる時、私たちは自分の告白を動揺しないで堅く保つことができるのです。
私たちが経験するプレッシャーで神が容認しておられるものがあります。それにどのように対応するかによって、私たちが自分の感覚に頼るのか、それとも信仰に頼るのかが決まります。もし、暗闇のプレッシャーに負けて私たちが告白を変えてしまうなら、自分の感覚、判断で歩んでいることになります。信仰には暗闇が存在しないからです。信仰は自分の感覚に頼るのではなく、内なる霊の目で変わることのない領域を見て、決して変わることのない大祭司を信頼します。ヤコブは、このことについて次のように言っています。
ただし、少しも疑わずに、信じて求めなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。その人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。そういう人は二心を抱く者で、歩む道すべてにおいて心が定まっていないからです。 (ヤコブ1:6―8)
この箇所は、不安定な人を描写しています。彼は最初、疑わずに信じて求めようとしましたが、堅く保つことができませんでした。その結果、彼は風や波にもてあそばれてしまいます。それを防ぐ方法は、動揺しないで自分の告白を堅く保つことです。
【祈り】
主よ、あなたは誠実なお方であることを感謝します。私に希望を与えてくださいます。私は自分の感覚に頼らず、信仰によって歩むことを宣言します。私は動揺しないで、しっかりと告白し続けます。アーメン。