努めようではありませんか
勤勉は、養われる必要がある実です。ここでは、どのようにして勤勉が養われるべきかを、簡単に説明します。
テモテへの手紙第二2章6節で、パウロは言いました。「労苦している農夫こそ、最初に収穫の分け前にあずかるべきです。」ここでパウロは、「作物を育てるには、労苦が必要だ」というシンプルで基本的な事実を明らかにしています。努力なしに収穫は得られません。その事実は、御霊の実にも同様に当てはまります。御霊の実を養うには、努力が必要です。私たちの生活の中で御霊の実を養うための方法を二つ提案したいと思います。
第一に、神のことばを学ぶ必要があります。神のことばは、私たちのためのすべての神の備えの基礎だからです。神のことばに精通していなければ、必然的に神の備えの多くを失ってしまいます。また、パウロはテモテに宛てて、「あなたは務めにふさわしいと認められる人として、すなわち、真理のみことばをまっすぐに説き明かす、恥じることのない働き人として、自分を神に献げるように最善を尽くしなさい」(Ⅱテモテ2:15)と書いています。真理のことば、つまり聖書、神のことばを正しく伝え、用いるためには、私たちは働く者でなければなりません。ある意味、気合を入れて取り組まなければならないものです。
第二に、祈りに時間を割くことです。祈りとは、単に神に話しかけるだけではなく、耳を傾けることも意味します。聞くことは、神に向かって話すことと同じくらい、あるいはそれ以上に重要なことです。ここでも、イエスは私たちに完璧な模範を与えてくださっています。イエスの地上での働きのすべての基本は、父なる神との関係でした。その関係を養い、保つために、イエスは多くの時間を祈りに費やしました。多くの場合、それは早朝でした。その中でイエスは御父の声を聞き、ご自分の働きの導きを受け取っていたのです。
【祈り】
主よ、あなたの安息に入ることが約束されていることを感謝します。私は、みことばを学ぶことと、祈りの時間を持つことによって、私の生活で勤勉さを養うと宣言します。私は勤勉になります。アーメン。