私の古い人はキリストにあって死にました。それは、新しい人が私のうちに生きるためです。
古い人と新しい人が入れ替わることについてお話しします。古い人は十字架でキリストとともに死に、それに代わって、今は新しい人が私たちの内側に生きるようになりました。これは、新約聖書の中で一貫して語られているテーマですが、今日の教会の中ではあまり語られていません。十字架で死んだ古い人と、キリストとともに復活した新しい人との対比は、イエスの復活によって示されています。
キリストの十字架は、歴史の中で起こった間違いのない事実です。その視点で見る時、私たちの信仰は驚くほど強められるでしょう。それは実際に起こったことだからです。それを信じる、信じないにかかわらず、また、そのことを知っている、いないにかかわらず、それは事実です。そして、私たちがその事実を知って信じる時、私たちの人生に驚くべき変化が起きます。ローマ人への手紙6章6節でパウロは、「私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅ぼされて、私たちがもはや罪の奴隷でなくなるためです」と述べています。しかし、私はむしろ、罪のからだが「無力にされて」、あるいは、「行動不能にされて」という表現を好みます。
古い人が死んで、新しい人が自分のうちに生きていることに私たちが気づいた時、私たちの、罪を主人とする奴隷の生き方に終わりが来ます。しかし、このことを理解し、信じ、それに基づいて行動しなければ、罪の奴隷となっている状態から完全に脱け出すことはできません。このことだけが、罪の奴隷や束縛から脱出する方法なのです。
【祈り】
イエスさま、あなたが十字架でなされた交換を感謝します。私の罪の奴隷状態は終わったと宣言します。私の古い人はキリストにあって死にました。新しい人が私のうちに生きるためです。アーメン。