イエスは、ご自分の義によって私たちを義とするために、罪ある者とされました
ローマ人への手紙6章にある、私が「ローマ書のレシピ」と呼んでいるものを見 てみましょう。「レシピ」という言葉は、料理本を連想させます。シェフが料理本 を使うのと同じように、クリスチャンがシンプルで実用的な方法で聖書を用いるな ら、神のレシピは常にうまくいくと分かるでしょう。ローマ書のレシピは、福音の 真理を私たちの人生に働かせるための神の方法です。
それでは、どのように言うべきでしょうか。恵みが増し加わるために、私たち は罪にとどまるべきでしょうか。決してそんなことはありません。罪に対して 死んだ私たちが、どうしてなおも罪のうちに生きていられるでしょうか。それ とも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを 受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありません か。私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストととも に葬られたのです。それは、ちょうどキリストが御父の栄光によって死者の中 からよみがえられたように、私たちも、新しいいのちに歩むためです。私たち がキリストの死と同じようになって、キリストと一つになっているなら、キリ ストの復活とも同じようになるからです。私たちは知っています。私たちの古 い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅ぼされて、 私たちがもはや罪の奴隷でなくなるためです。死んだ者は、罪から解放されて いるのです。私たちがキリストとともに死んだのなら、キリストとともに生き ることにもなる、と私たちは信じています。私たちは知っています。キリスト は死者の中からよみがえって、もはや死ぬことはありません。死はもはやキリ ストを支配しないのです。なぜなら、キリストが死なれたのは、ただ一度罪に 対して死なれたのであり、キリストが生きておられるのは、神に対して生きて おられるのだからです。(ローマ6:1-10)
この「レシピ」の結果はとても大きく、「罪はあなたの主人になることはない」、 つまり罪はもはやあなたを支配したり、コントロールしたりしないのです。罪とその悪しき結果からの解放は、イエス・キリストの死、埋葬、復活、昇天と自分を重 ね合わせることを通してもたらされます。
【祈り】
イエスさま、あなたの十字架のみわざを感謝します。罪は、もはや私の 主人ではないことを宣言します。なぜなら、イエスさまがご自分の義によって私を 義とするために、私の罪を負って罪とされたからです。アーメン。