私はキリストの友です
残念なことに、今の時代では、「友」という言葉の意味が薄れてきています。そのため、友人関係は安っぽいものになりました。しかし、神の友情の基準は変わってはいません。神にとって友情とは、契約の誓いに基づくものです。契約の誓いを通してアブラハムは神の友となったのです。イエスの願いは新しい契約のもとで、アブラハムが古い契約のもとで友とされたのと同じ関係の中に、私たちを友として導き入れることです。
ヨハネの福音書15章15節で、イエスは弟子たちにこう言っています。
わたしはもう、あなたがたをしもべとは呼びません。…わたしはあなたがたを友と呼びました。
それは、奴隷から友への昇進です。しかし、アブラハムの場合と同じように、私たちにとってもそれは安っぽい関係ではないということを理解する必要があります 。イエスの友であるためには、それなりの犠牲が伴います。私たちにとって、イエスとの関係の基準は、アブラハムの場合と同じです。それは契約の誓いです。イエスは、私たちのためにご自分のいのちを捨てようとされており、その時、「人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません」(ヨハネ15:13)と言われたのです。しかし、覚えていてください。私たちがイエスの友になるためには、イエスのために自分のいのちを捨てなければならないのです。それは双方向のコミットメントです。
【祈り】
イエスさま、あなたが私を贖ってくださったことを感謝します。イエスさまは私のためにご自分のいのちを捨ててくださったので、私のいのちをイエスさまにゆだねます。私はキリストの友だからです。アーメン。