イエスは、ご自分の義によって私たちを義とするために、罪ある者とされま した
イエスに病を負わせる、傷を負わせることは、「主のみこころ」でした。イエス は肉体的に病で打ちのめされました。彼のからだは砕かれ、傷つけられ、裂かれま した。十字架の上で完全に病を負いました。
もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子 孫 を 見 る こ と が で き ・ ・ ・ (イザヤ53:10/新改訳第三版)
「罪過のためのいけにえ」はヘブル語では asham で、「有罪」、「罪」という 意味です。その語は、旧約聖書では「罪」と「罪のいけにえ」の両方に使われまし た。なぜでしょうか。レビの律法では、いけにえの動物が罪のささげ物として連れ て来る時、罪の贖いを受ける人はその動物の頭の上に手を置いて罪を告白すること によって、象徴的に自分の罪を動物に移していたからです。その後、その人が殺さ れる代わりに、その動物が殺されました。
もちろん、これらはすべてキリストの死を表しています。ヘブル人への手紙の著 者は、雄牛や雄やぎの血は罪を除くことができないと言っています(ヘブル10: 4)。いけにえの制度は、十字架で成就された交換の予表に過ぎませんでした。し かし、ここでは現実的な出来事について語っており、聖書は、神がイエスを罪とす るのだと言っています。それが、「自分のいのちを罪過のためのいけにえとする」 の本当の意味です。使徒パウロは、イザヤ書53章を引用して、この点をはっきり させています。
「神は、罪を知らない方を私たちのために罪とされました。それは、 私たちがこの方にあって神の義となるためです」(Ⅱコリント5:21)。
【祈り】
イエスさま、あなたの十字架のみわざを感謝します。私は、イエスさま が、ご自分の義によって私を義とするために、私の罪を負って罪とされたことを宣 言します。アーメン。