怠惰に打ち勝つ

努めようではありませんか

ペテロの手紙第二1章8~9節で、ペテロは私たちに選択肢を与えています。一つは、主イエス・キリストを知る点において、役に立つ者、実を結ぶ者になることです。もう一つは、ペテロが「近視眼的で盲目」であると表現している状態で、役に立たない者、実を結ばない者になることです。それは強い言葉です。この状態に照らして、ペテロは「ですから」と言って続けています。この「ですから」は、彼が与えた警告につながっています。

ですから、兄弟たち。自分たちの召しと選びを確かなものとするように、いっそう励みなさい。これらのことを行っているなら、決してつまずくことはありません。このようにして、私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの永遠の御国に入る恵みを、豊かに与えられるのです。(Ⅱペテロ1:10-11)

これは、よい知らせです。決してつまずくことがないという保証のために私たちにできることがあります。そして、それは、主の御国に入る恵みを豊かに与えてくれるものでもあります。

基本的に、私たちが警告されている状態は怠惰です。私は、キリスト教界に怠惰についての懸念が欠如していることを、深く憂慮しています。クリスチャンの大半は、大酒を飲む人に嫌悪感を抱きます。クリスチャンだと公言している人が大酒飲みだったら、その人を拒絶するでしょう。私は、大酒を飲むことは罪であることには同意しますし、確かに、私もそれを容認することはしませんが、聖書では、怠惰は大酒飲みよりも、はるかに厳しく非難されていると思います。問題なのは、大酒飲みではない多くのクリスチャンが、習慣的に怠惰であることです。ですから、勤勉であるようにという警告をしっかり心に留めましょう。

【祈り】 

主よ、あなたの安息に入ることが約束されていることを感謝します。私は、怠惰と闘い、「私の召しと選びを確かなものとするように、いっそう励む」ことを宣言します。私は勤勉になります。アーメン。

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