努めようではありませんか
勤勉というテーマについて、へブル人への手紙の著者がさらに詳しく言っていることを見ていましょう。
「私たちが切望するのは、あなたがた一人ひとりが同じ熱心さ(英語では「勤勉」と同じ語)を示して、最後まで私たちの希望について十分な確信を持ち続け、その結果、怠け者とならずに、信仰と忍耐によって約束のものを受け継ぐ人たちに倣う者となることです」(へブル6:11-12)。
私たちは一時的に熱心になるだけでなく、最後まで熱心である必要があります。ここでは、熱心の反対は、「怠け者となる」という平易な言葉で述べられています。肉体的な怠け者ではなく、霊的な怠け者です。
だからこそ、あなたがたはあらゆる熱意を傾けて、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。(Ⅱペテロ1:5-7)
クリスチャン生活は、静的なものではありません。足し算、成長、そして前進の生活です。クリスチャン生活で静的であることは、後退することです。上記の聖句で言われているように、加えるためには、熱心さが必要です。全力を尽くす必要があります。ペテロは次のように続けています。
これらがあなたがたに備わり、ますます豊かになるなら、私たちの主イエス・キリストを知る点で、あなたがたが役に立たない者とか実を結ばない者になることはありません。これらを備えていない人は盲目です。自分の以前の罪がきよめられたことを忘れてしまって、近視眼的になっているのです。(8-9節)
あなたは、人が過去の罪がきよめられたこと、それが起こったことさえ忘れてしまうことがあることを信じますか。それは非現実的に聞こえますが、聖書は起こりうると言っています。
【祈り】 主よ、あなたの安息に入ることが約束されていることを感謝します。私は、信仰と忍耐によって、約束されたものを相続した人々に倣う必要があることを宣言します。私は勤勉になります。アーメン。