私はキリストのからだの器官です
箴言27章8節はこう言っています。「自分の巣を離れてさまよう鳥のように、人は自分の家を離れてさまよう。」巣から出た鳥が自分の巣に戻れなくなったのを見たことがありますか。それほど弱々しく不憫なことはありません。この聖句は、自分の居場所から離れてしまうことがどういうことかを的確に表しています。私はカウンセリングをしてきた中で、多くの人にこのように告げなければなりませんでした。「あなたの問題の一つは、自分がいるべき場所にいないことです。今いるところは、あなたのいるべき場所ではありません。自分の居場所を見つけるまで、本当の意味での繁栄はありません。」
「あなたの居場所」というのは、地理的な位置ではなく、神にある居場所、キリストのからだの中の居場所のことです。聖書は、私たち一人ひとりは「からだの器官」であると言っています。一つの器官として、一人ひとりが適切な場所に収まっていなければいけません。手が足の先にあるのはナンセンスです。足が腕の先にあることもとんでもないことです。自分にふさわしい場所に収まるために、自分がどんな器官であるかを知る必要があります。
神は私たちを救い、また、聖なる招きをもって召してくださいましたが、それは私たちの働きによるのではなく、ご自分の計画と恵みによるものでした。この恵みは、キリスト・イエスにおいて、私たちに永遠の昔に与えられ… (Ⅱテモテ1:9)
この聖句は、非常に深い意味を持っています。神は私たちを救っただけではありません。「聖なる招きをもって召してくださいました」と続いています。救われるとは、召されることです。救われていながら、召されていない人はいません。
しかし、救われているけれども、自分の召しを知らないクリスチャンが多くいます。それは彼らが召されていないのではありません。私たちは召しのために救われました。自分の召しを見出し、それを果たすまで、あなたは充実感を味わうことができず、満たされないでしょう。
【祈り】
イエスさま、私をあなたのからだの一部としてくださったことを感謝します。私は、あなたにある自分の居場所と召しを見出すと宣言します。私はキリストのからだの器官です。アーメン。