聖なるものとされ、聖別され、移された

私は代価を払って買い取られました。私は神のものです

それでイエスも、ご自分の血によって民を聖なるものとするために、門の外で苦しみを受けられました 。 (ヘブル13:12) 

イエスの血は、一人ひとりの信者をきよめます。繰り返しになりますが、「きよ め」は宗教的用語で、多くの人がその意味をちゃんと理解していません。それは、 「聖徒(saint)」とも関連しており、原語聖書の「聖なる(holy)」と直結した語 です。ですから、きよめとは、この聖句にあるように、「聖なるものとする」こと です。「聖なるもの」には、神のために聖別されるという側面が含まれます。聖な るものとされた人は、サタンが触れることのできない神の領域に自分がいることに 気づきます。聖なるものとされることは、サタンの手の届く領域から移され、神に 用いていただく場所に置かれることです。それが「きよめ」、「聖なるものとされる」ことです。神のために選び分けられ、聖なるものとされるのです。「義」と同 様、「きよめ」は、働きや努力、宗教によって得られるものではありません。ただ イエスの血を信じる信仰によってのみ成されるものです。あなたは神のものであり 、 神の支配の下にあり、神に用いられます。神のものでないものは、あなたに近づく 権利がありません。それは血によって遠ざけられています。 

コロサイ人への手紙1章12~13節で、パウロはこう書いています。「また、 光の中にある、聖徒の相続分にあずかる資格をあなたがたに与えてくださった御父 に、喜びをもって感謝をささげることができますように。御父は、私たちを暗闇の 力から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。」イエスの 血を信じる信仰によって、私たちはサタンの権威の領域から救い出され、神の国の 中へと移されたのです。これから移されるのではありません。霊も、たましいも、 からだも、すでに移されています。私たちはサタンの領域にはいません。サタンの 律法の下にはいません。私たちがいるのは、神の御子の領域であり、神の律法の下 です。

【祈り】

イエスさま、私を買い取ってくださったことを感謝します。私は、聖な るものとされ、神さまのために聖別され、神の国の中へと移されました。私は代価 をもって買い取られました。私は神さまのものです。アーメン。

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