私のからだはイエスの血によって贖われ、聖められた聖霊の宮です
私たちの人生は、善悪を問わず、私たちが耳を傾けた声によって決まります。神の声に耳を傾けてそれに従うなら、祝福が訪れます。神の声を無視するなら、数々の呪いがやって来るでしょう。神の声を聞かずに神に従うことは不可能です。神の声は、神が求めておられることを教えてくれるからです。
クリスチャンだと公言している多くの人たちが、神の声に鈍感です。自分たちの宗教的活動や義務を続けていても、それらは習慣的で形式的なものです。神の声に耳を傾けたものではない、自分たちが培ってきたパターンに過ぎません。いつの時代においても、神はご自分の民がご自分の声に耳を傾けるように求めておられます。
イスラエルの民をエジプトから贖い出したときに、神が彼らに心から求めていたものを、神はエレミヤ書7章で説明しています。神のみこころは、いけにえを捧げて律法を守ることではなく、まず、ご自分の声に耳を傾けることでした。律法を守り、必要ないけにえを捧げるように導いたのは、神の声でした。神の声を聞いて捧げたいけにえではない限り、うわべだけの律法で意味がありません。神が何よりも求めておられることは、私たちが神の声に耳を傾けることなのです。
わたしは、あなたがたの先祖をエジプトの地から導き出したとき、彼らに全焼のささげ物や、いけにえについては何も語らず、命じもしなかった。ただ、次のことを彼らに命じて言った。『わたしの声に聞き従え。そうすれば、わたしはあなたがたの神となり、あなたがたはわたしの民となる。』(エレミヤ7:22-23)
限りなくシンプルなことです。「わたしの声に聞き従え。そうすれば、わたしはあなたがたの神となる。」
【祈り】
主よ、イエスさまの血潮と聖霊の働きを感謝します。私は神さまの声を聞いてそれに従うことを宣言します。「わたしの声に聞き従え。そうすれば、私はあなたの神となる。」この真理を私自身に宣言します。私のからだは、イエス・キリストの血によって贖われ、聖められた聖霊の宮です。アーメン。