私は代価を払って買い取られました。私は神のものです
イエスが贖われたのは、人間のすべての部分(霊、たましい、からだ)であるこ とを真に理解することが重要です。からだを贖う理由の一つは、主の宮とするため です。主は贖われていない、まだサタンのものである宮の中には決して住みません。 私たちのからだは、神が聖霊によってその中に住むために贖われたのです。それは イエスの血によって贖われました。
神は、私たちにどのような応答を求めておられるでしょうか。これは非常に具体 的で、私たち全員が理解すべき重要なことです。
ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あ なたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。 それこそ 、 あなたがたにふわしい礼拝です 。 (ローマ12:1)
十字架でのイエスの死を通して神が私たちのためにしてくださったすべてのこと を考えると、私たちはどのように応答することが期待されているでしょうか。私た ちのからだを、生きたささげ物として献げることです。なぜ、「生きたささげ物」 なのでしょうか。パウロはそれを旧約聖書のいけにえと対比させています。いけにえは、屠られた動物のからだを罪と咎をきよめるためのささげ物として神の祭壇に 献げられました。パウロはこう言っています。「あなたのからだを神の祭壇に献げ なさい。でも、それを殺してはいけない。生きたささげ物として献げなさい。」自 分のからだを神の祭壇に献げたら、それはもう自分のものではありません。神のも のです。神の祭壇にささげ物として献げられたものはすべて、神のものになったの です。
それこそ、神が私たちに求めておられることです。私たちのからだを生きたささ げ物として神に献げ、自分のからだの所有権を放明け渡し、神の手にゆだねるので す。
【祈り】
イエスさま、私を買い取ってくださったことを感謝します。私は、この からだを生きたささげ物としてあなたにおささげすることを宣言します。私は代価 をもって買い取られました。私は神さまのものです。アーメン。