私たちに癒やしを与えるために、イエスは打たれました
夕方になると、人々は悪霊につかれた人を、大勢みもとに連れて来た。イエス はことばをもって悪霊どもを追い出し、病気の人々をみな癒やされた。これは 、 預言者イザヤを通して語られたことが成就するためであった。「彼は私たちの わ ず ら い を 担 い 、 私 た ち の 病 を 負 っ た 。 」 (マタイ8:16-17)
マタイは身体的な問題に、「わずらい」と「病」という二つの言葉を使いました。 これらの違いは、「わずらい」はアレルギー反応や蜂に刺されるといったようなも の、そして「病」は、コレラやインフルエンザのような実際の病気と定義できるで しょう。
マタイは、イエスの癒やしのミニストリーはイザヤ書53章の成就であり、イエ スは「病気の人々をみな癒やされた」と強調しています。神の永遠のご計画によっ て、イエスがすでに私たちの病を担い、痛みを負われたからです。それが良き知ら せです! 教会が真剣にこのことを信じるなら、伝道はとてもシンプルなものにな るでしょう。
ムスリムが人口の98%を占めるパキスタンに行ったことは、私にとって啓示的 な経験になりました。ほとんど宣伝していないにもかかわらず、1 6,00 0人ほど が私たちの集会にやって来ました。なぜでしょうか。私たちが病人のために祈り、 彼らは癒やされたからです。全員ではなく、数人だけでしたが、目の見えない人が 見えるようになり、耳の聞こえない人が聞こえるようになり、足の不自由な人が歩 けるようになりました。信じてください。癒やしが起こるときに、群衆を集めるこ とは難しくありません。それは新約聖書で最も人々を引きつけた方法でした。
【祈り】
イエスさま、あなたの十字架のみわざを感謝します。神さまの癒やしが イエスさまの犠牲によって、私を含めてすべての人が受けることができるように なったと宣言します。なぜなら、私に癒やしを与えるために、イエスさまが打たれ てくださったからです。アーメン。